cb1358ren’s diary

Yahoo知恵袋での誤回答の懺悔や個人的メモなど

妾と戸籍

知恵袋で質問を見つけて、いろいろ調べて回答したのだけど質問自体が削除されてしまった。
何なんだろうね。

せっかく調べたのでここに載せときます。
その後わかった分も含めて加筆修正しています。


日本は古代の頃は一夫多婦だったと言われます。
奈良時代に中国の律令が導入されたとき、この律令は一夫一婦制を採用していました。
そこで当時の立法者は、正妻は一人だけとして他は妾として形式上律令に合わせて一夫一婦制としました。

時代が下ると言葉の使われ方も変わります。
江戸時代には、妾は妾奉公人と呼ばれ、配偶者では無く奉公人という扱いでした。

明治2年から始まった版籍奉還によりそれまで藩が治めていた土地や人民も天皇支配下となります。
そこで全国的に適用する取締法規が必要となり、養老律や幕府御定書を参考に、明治3年12月20日に新律綱領(布告第944号)を制定します。
いわゆる刑罰法規ですが親族犯罪の規定もあるので親族の範囲として五等親図が記載され、妾は妻と同じ二等親の親族とされます。

この五等親図は養老儀制令の五等親属制に倣ったものだと言われています。
この「等親」というのは現在使われている「親等」とは違います。
「親等」が世代の遠近だけで分類されるのに対し、「等親」は世代のほかに尊卑の観念を加えて分類します。

次に新政府は全国の人民を把握するため、明治4年4月4日に戸籍法(明治4年太政官布告第170号)を制定布告します。
ですがこの戸籍法には妾についての規定は無く、記載順を定めた「戸籍同戸列次ノ順」にも妾の文字はありませんでした。

そのためあちこちから問い合わせがあったため、明治6年8月5日の太政官指令(注1)で、妾の夫方戸籍への入籍方法や戸籍への記載順序が指示されました。

その後、新律綱領の追加変更として改定律例が作成されますが、妻妾二等親(五等親図)は新律綱領のままでした。

政府は西洋法の継受を目指して刑法典の編纂を行います。
このとき、西欧諸国(キリスト教国)が一夫一婦制であるのに、妾を妻と並べて親族とするのは一夫多婦と見られるかもしれない、不平等条約の改正交渉で都合が悪いとして妾の記載の削除が検討されます。
元老院でかなりの議論がありましたが、結局、刑法から妾の記載は消滅します。

明治13年7月17日に旧刑法 (明治13年太政官布告第36号) が制定され、明治15年1月から施行されました。(親属の範囲は114条)


当初内務省は刑法と戸籍では親族の考え方は違うという態度をとっていましたが、
明治16年7月3日の太政官布告により、
・妾は戸籍に記載しないこと、
・ただし、刑法施行前に戸籍に記載された妾は従来通りとすること
が指示されました。

「妾ハ法律上之ヲ認メサルモノニ付別ニ戸籍上列次ノ順序無之義ト可相心得事但刑法施行以前ニ入籍シタル妾ハ此限リニアラス」


明治19年の戸籍取扱手続(明治19年内務省訓令第22号)で戸籍の統一様式が定められ、明治5年式戸籍(壬申戸籍)は統一様式の明治19年式戸籍に改製されます。
この明治19年式戸籍でも、刑法施行前に戸籍に記載された妾はそのまま記載されました。[注2]


その後、新しい民法(親族編相続編 明治31年法律第9号)と戸籍法(明治31年法律第12号) が制定され明治31年7月16日から施行されます。
民法は親族の範囲を定めましたが妾は親族に入りませんでした。

そして民法の家制度を踏まえた戸籍法では新しい戸籍様式が定められました。
この戸籍法の下での戸籍を明治31年式戸籍と呼びますがこの戸籍から妾の記載は消滅します。

明治31年式戸籍への改製は徐々に行われ、多くは家督相続などで新しく戸籍を作成するときに新様式にしました。
このため、民法施行後も、未改製の明治19年式戸籍は使われており、妾の記載はそのままでした。


[主要参考文献]
村上一博「明治前期における妾と裁判」法律論叢 71(2・3), 1-39, 1998-12
https://ci.nii.ac.jp/naid/120001438886

[注1]堀内飾編『明治前期身分法大全 第一巻 婚姻編1』(中央大学出版部) 237頁に当該太政官指令が記載されているようだが本書を参照できず原文は確認していない。

[注2]「戸籍整理心得」(新潟県 明治29年)39頁
妾ハ明治十五年以前<ママ>入籍シ戸籍ニ登記アルモノニ限ルヲ以テ若シ同年以後誤テ入籍セシモノアラハ原籍ニ復サシムヘシ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/792429




あとがき
実は明治31年式戸籍で本当に消えたのか確信が持てないです。
参照した論文やネット上の解説では明治31年式戸籍から妾の記載が消えたと書かれており、反して残っていたと書いてあるものは見当たりません。
これらの記載を信用して明治31年式戸籍から消えたと回答には記載しました。

でも、改製前の明治19年式戸籍に妾が記載されていた場合は、改製時にどういう処理を行ったのかという情報も出てこないのですよね。

まさか単純に移記対象から外して無戸籍者にしたということはないでしょう。
明治15年以降の妾と同様に原籍に戻したのか?でも15年以上経っているので代替わりしている可能性もあるのに強制的に戻すのもどうだろう。
独立させて新しく家を立てさせたのか。
いずれにせよ資料が見当たらない。

さらに民法施行法では、民法施行前に家族だったものは民法で家族とならない者でも家族とするとしている。
字義通りに取ると明治14年以前の妾も家族となると読めます。

民法施行法62条
民法施行ノ際家族タル者ハ民法ノ規定ニ依レハ家族タルコトヲ得サル者ト雖モ之ヲ家族トス
家族ハ民法施行ノ日ヨリ民法ノ規定ニ従ヒテ戸主権ニ服ス

引き続き要調査。

合資会社の資本金

懺悔録
知恵袋でした回答の間違いを懺悔する投稿です。
 
合資会社に資本金の概念は無いと書きましたが、
資本金の概念はありました。
貸借対照表にも計上されます。
 
無限責任社員がいるので、株式会社のように責任財産として重要なものではありませんが無いというのは言い過ぎでした。
 
解散手続きでは資本金を元に分配するわけではないので回答自体には影響ないかと(^^;
 

筆頭者死亡後の改製転籍時の記載内容

懺悔録
知恵袋でした回答の間違いを懺悔する投稿です。
 
筆頭者死亡後に改製や転籍があった場合、全部事項証明書には、一番上の本籍と筆頭者は残るけど、戸籍に記録された者としては記載されなくなると回答していましたが、戸籍に記録された者の欄の「身分事項欄」は記載されませんが「名欄」は記載されました。
【名】とか【生年月日】【父】【母】【続柄】とか書いてある部分です。
 
 
以前知人の戸籍謄本集めを手伝ったとき、そういう証明書を見たので勘違いしてしていました。
おそらく個人事項証明書だったのでしょう。全部事項証明書を送るように連絡していたので全部事項証明書だと思い込んでいました。
今となっては確認のしようがないですが。

行政書士の戸籍謄本等の職務請求 単純代行はダメ

知恵袋での回答間違いの懺悔です。
 
戸籍謄本の交付請求書=官公庁に出す書類なので、職務請求できるのかと思っていましたがダメみたいですね。
自動車登録の手続き代行だとか遺言書作成だとかの他の法定業務で必要な場合に限られるようです。


平成19年の法改正前のものですが、考え方は今も同じでしょうね。
行政書士が戸籍の謄抄本等の交付請求だけを依頼され、これを行うことは職務上の請求に該当しない。
(昭和61年5月2日民二-3817号通知)

今まで、単純代行でも可能だと思って回答してましたが、間違えのようです。
職務上請求書が使えないだけで依頼者の委任状を持って行けば代理請求はできるので仕事にはなるのでしょうけど。

戸籍コンピューター化未実施自治体メモ

2020年9月28日
全市区町村がコンピューター化しました。
 
京都府相楽郡笠置町 <実施済>
2018年3月
電算化予算計上
2018年12月26日
戸籍法第百十八条第一項の規定による指定(指定日2019年1月19日)
町のHPには記載なし

東京都御蔵島村 <実施済>

 
令和元年5月の第198回国会の議事録に1箇所だけ実施未定の自治体ありとの記載あり。
(令和元年5月10日衆議院法務委員会での黒岩、松平および源馬各委員(議員)の質疑での発言)
ここのことだろうな。
 
2020年9月9日
戸籍法第百十八条第一項の規定による指定(指定日2020年9月28日)
2020年(令和2年)9月28日電算化
(広報みくら令和2年9月号に記載あり)

新潟県加茂市 <実施済>
2017年11月
債務負担行為の設定
2019年(令和元年)9月24日開始予定(市のHP)
2019年9月4日
戸籍法第百十八条第一項の規定による指定(指定日2019年9月22日)
 
北海道夕張市<実施済>
2019年8月予定
2019年(令和元年)7月29日電算化(市のHP)
 

広域交付住民票とマイナンバー

懺悔録
知恵袋でした回答の間違いを懺悔する投稿です。
 
 
ごめんなさい。
広域交付住民票について「ただし本籍やマイナンバーの記載はできませんし、」と書きましたが、正しくはマイナンバーの記載はできます。
本籍や筆頭者は記載できません。
 
質問はバイトの面接用についてだったので問題はなかっただろうけど。